―あ、鳥が鳴いてる
そんな気がして、ゲンマはハッと目が覚めた。
思ったとおり、窓の外を見れば空で2匹の雀が飛んでいるが、
それは決して任務を知らせる伝鳥ではなかった。
―これは職業病か
頭に手を当てながら、そんなことをふと思い、苦笑いした。
今日はやっとの休み。
ここのところ、里を離れる任務に加えて、帰ってこれば重要書類の整理などで
引切り無しに仕事に追われた。
そんな日々で、知らないうちに体には忍としての生活が刻まれたようであった。
窓から、壁に掛かっている時計へと視線を動かせば、
との約束の時間にはまだ十分過ぎるほどの時間がある。
「どうすっかな…」
そんなことをまだどこかぼーっとしてる頭で考える。
きっとが来るまで寝ていたとしてもいいのだろうが、
昨日のことをふと思い出すと寝る気にはなれなくなった。
昨日、急遽休みがもらえることになったゲンマは、
帰りに、が働く小料理屋へと足を運んだ。
人通りの多い大通りから1本外れた小道にあるその小料理屋は、
開店している時間ではあったが、馴染みの客がちらほらいるだけであった。
ゲンマがドアを開ければ、の“いらっしゃいませ”という
明るい声が聞こえた。
「おう。」
ゲンマが右手を軽く挙げながらそう言うと、
はエプロンで手を拭きながら奥から出てきた。
「どうかした?」
そう言うは少し息が上がっていて、慌てて来た、ということがよくわかる。
なんともらしい出迎えにゲンマは少し微笑みつつも、そっとに言った。
「明日、休みが取れることになった。」
「えっ?本当?」
いつも任務の合間を見て、ここへご飯を食べに来ているゲンマだけに、
今日もそうだと思っていたの口から予想以上の大きな声が漏れた。
その声は、店の中にはよく響き渡り、店にいたお客も店主も
ゲンマたちの方を見て微笑んでいた。
「「すいませんっ」」
あっ、思わず声が合ってしまって、ゲンマとの視線がぶつかる。
そんな様子に、今度は声に出る笑いが起こった。
笑いだけで済むところがこの店の雰囲気に合ってはいるが、
さすがに恥ずかしくて、思わず2人してその場で固まってしまった。
その様子を察して、店主がカウンターの方からにっこり微笑んで、
“ちゃん、少し休憩していいよ”と助け舟を出してくれたときには、
店主が輝いて見えると同時に、ふぅと胸のそこから気の抜けた空気が出てきた。
「明日休みなの?」
休憩の身になったと店の裏で、積んであった箱に腰を下ろした。
しばらくの沈黙の後、がゆっくりと口を開いた。
「ん、ああ。明日休んだら、またしばらく忙しくなりそうだ。」
「そっか。仕方ないよね、この里を守ってるんだもん。」
俯き加減にそう言うに、ゲンマは眉間に皺を寄せた。
「明日休みか?」
「休みじゃないけど、まだ有給あるから休みもらうよ。」
「そうか。…どっか行きたいところあるか?」
「んー、ないって言ったら嘘になるけど、明日はいいよ。
ゲンマの疲れを取るのが一番。ゲンマの家行くから。」
“ゲンマすっごく疲れてるでしょ?少しクマできてるみたい。”
が心配そうな視線をゲンマに投げかけた。
「そうか?それでいいのか?」
「うん。疲れてるゲンマを連れまわすほど私、無神経じゃないから。」
そう言いながらが腰を上げ、エプロンをパタパタと払った。
その行動を見ていたゲンマにが微笑みながら口を開く。
「そろそろ戻らなきゃ。
明日は昼前ぐらいに、なんか買ってゲンマの家行くから待ってて。」
「お、おう。」
「じゃあ行くね。」
「頑張れよ。」
「うん。ゲンマも早く帰って休んでね。」
手をひらひらさせて、は店へと戻っていた。
ゲンマはそれを見届けてから、家路に向かった。
―の優しさに甘えているだけでいいのか
ただ何より、自分を気遣い、優先させてくれているに、
自分は甘えているだけなのではないか、そんなことを昨日のことで痛感した。
―疲れているのはお互い様だろ?
昨日のの様子を思い出しながらゲンマはぐっと奥歯に力を入れる。
前に会ったときより、少し小さくなったように見えたその姿は、
会えない間、毎日働いていたことを明らかに示していた。
「よし、行くか。」
逆算すれば、今、家を出れば、今日がここへ来る前に寄ると言った、
いつもスーパーにと同じぐらいに着くことができる。
ベットから出した足を床に着き、身を起こす。
大きな伸びを一つして、ゲンマは身支度を始めた。
休みだというのに、ついつい忍装束を手にしてしまうのはなぜだろう。
ゲンマは無意識にも忍装束に腕を通していたことに本日2度目の苦笑いをしつつも、
それを元のところへ片付けながら、箪笥へ手を突っ込んで、
適当にTシャツとズボンを取り出した。
―これがないとなんか締まらねぇ
身支度が済んで、一度は玄関に向かってはみたが、腰の辺りにも足の辺りにも、
スースーした感覚を覚えて、また部屋へと戻る。
なんとか忍装束は着なかったが、忍としての自分を残すように、
簡単な忍具の入ったウエストポーチだけを身に付け、家を出た。
口に銜えた楊枝を、ゆらゆら上下させながら歩く。
ウエストポーチだけはなんとなく付けてきたものの、
歩きながら後から考えることには、この姿は可笑しいのではないか、と。
ファッションの一部にしては、そのウエストポーチの姿は歪で、
額宛も、忍装束も身に着けていない今の自分は、忍というには遠い。
Tシャツで、少しウエストポーチを隠すようにしつつも歩いていると、
目的地のスーパーが見えてきた。
あともう少しのところで、が中へ入るのが見えた。
そこで声を掛けて、に駆け寄ってもよかったが、ゲンマの悪戯心にぽっと火がついた。
は左手にかごを掛け、右手で野菜を物色していた。
今日はニンジンが安いのかー、とか、あっ玉ねぎも安い、とか。
じゃがいもは少し高め。かぼちゃは高くても買うべきかな。
そんなことを頭の中で考えながら、
ポンポンと、かごの中へ見定めたものを入れていった。
魚コーナーへ差し掛かったときに、ふとゲンマの顔が思い浮かんだ。
「魚がいいのかな?肉がいいのかな?」
ボソッと思わず声にも出た。
“昨日、それだけでも聞いておけばよかった”、
今さらどうすることもできない後悔がの中に生まれた。
しばらくそこで、頭の中でいろいろなことをシュミレーションして、
結局は和食を作ることにしたが、特売になっているアジへと手を伸ばしたとき、
後ろから同じように伸びてきた手がそのアジを取った。
「今日は和食な。」
その行為と同時に、少し屈んでいたの頭の上から聞き慣れた声がかかる。
顔だけをその声の元へと動かすと、ゲンマが微笑んで立っていた。
「ゲンマどうしたの!?」
「ん?驚かそうかと思って。」
ゲンマの微笑んでいた顔が、今度は悪戯するような顔へと変わった。
は、“驚いたー”と言いながら、口の端を上げてゲンマの取ったアジをかごへと入れた。
「いつからいたの?」
「が店に入るのがちょうど見えた。」
「驚かそうと思って声掛けなかったの?」
「あぁ。驚かそうとも思ったし、の後姿が見てたかった。」
「えっ?」
牛乳へと伸ばされていたの手が止まり、隣でかごをもっているゲンマへと視線が移った。
その代わりにゲンマが牛乳を手に取り、かごへと入れる。
「どういうこと?」
ゲンマの言うことがわからない、そんな様子の自分を流して、先へと行こうとするゲンマに
が問うた。
「あんまりにも買い物するが馴染んでたからそれを眺めてた。
まるで主婦みたいだった。」
「それ褒めてるの…?」
「んあ?褒めてる。」
「そっか。あ、ゲンマの家、まだ砂糖あったっけ?」
“そういやもうなかったかも”、“んじゃあ買って行かなきゃ”、
そんな他愛もない話が続いたが、そこには陽だまりのような空気が流れていた。
相変わらず、慣れた手つきで、品定めをしてぽんぽんとかごへ入れていく。
時折、これ食べたい?、とか、あれは?、などと振り返りながらも訊ねるに
微笑みながら、“が決めろ”などと言うと、
“それが一番難しい”とは少し頬を膨らませた。
レジを通して、買ったものを2人して袋へ詰め込む。
ゲンマはふと手を止めて、詰め込んでいた袋からへと視線を変えた。
も同じように袋へ詰め込んでいたが、ゲンマの視線に気付いて、
“なに?”、という視線を投げかけた。
「これ、買いすぎじゃねぇか?」
そうに問いながら、ゲンマが盛大なため息をついた。
「…そうかも。」
そう言われたは、すでに袋に詰めたものやまだかごに入っているものを
まじまじと見て同意した。
「ゲンマがちゃんと何食べたいか言わないからだよ?」
「はっ?がちゃんと考えて買わねぇからだろ?」
そう互いに言い合ってはみたものの、目の前にある品物が減るではなく、
止まっていた手を動かして、とにかく袋へすべて詰め込んだ。
「はぁ〜、重い。」
「仕方ねぇだろ?」
2人して、両手にはちきれんばかりに詰め込んだ袋を提げて歩く。
ゲンマにしてみれば、いつも運んでいる書類に比べれば軽いし、
袋に入ってるだけあって安定しているので何の苦でもなかったが、
にとってはかなりの重労働のようで、だんだん歩くペースが落ちていった。
「大丈夫か?」
に合わせて歩いていたつもりでも、が立ち止まってしまえば、
ゲンマが何歩か先を歩いてしまう。
ゲンマは立ち止まっているに振り返りながら、その様子を窺った。
「大丈夫。」
一度下へ置いていた袋を再び持ち上げて、がゲンマへ安心させるように
微笑みかける。
その様子を見ていたゲンマは、が左手で持った袋を自分の右手で取った。
「重いでしょ?」
「いつも運んでるものに比べれば軽い。
それより…」
ゲンマは右手に持っていた袋を左手へ移して、空いた右手での左手を取った。
はそのゲンマの行動にはじめは意味がわからず、戸惑ったが、
ゲンマの手がぎゅっと自分の手を握るのがわかって、その意味がやっとわかった。
そして、にっこり微笑みながら左にいるゲンマを見上げた。
「なんだ?」
「なんでもないよー。」
ゲンマの表情はいつもと変わらず、口に銜えた楊枝をひょいひょいと動かしていたが、
には少し耳が赤くなっていて、照れていることがわかった。
が小さくクスクスと笑い始めると、
ゲンマも、“んだよ?”、と言いながら同じように笑った。
2人の間を緑の風が通り過ぎて、暖かく包む。
そんな特別ではない、ある休日の昼、少し前。
アトガキ
言い訳ですがあまりにも書けなくて、リハビリ作品です。
何が言いたいのか、どう締めるのか、全然わからずですみません。
書きたかったのは、何気ない一コマなんです。はい・・・
2006.4.7 up
hold your hand*close