冷たい雨に頬を打たれて



















どうしてだろう…




もう幾度となくこんな経験はしている。


数えるなんて不可能なくらいに…
いや、もし数えられたとしても数えるはずもないが。


これが仕事なのだから仕方がない。
そう、これは仕方がないことなのだ。


それがわかっているのに、この匂いに慣れることはなく、体を震わせている自分がいる。




 『血の匂い』




自分のものではない。
今日、任務で切った相手のものだ。

どれだけ自分の服にそれが付いているのか、そんなものは確かめていない。
ただ、その匂いがなんとも言えない気持ちにさせているのだ。




「あー情けねぇ…」





任務報告が終われば真っ直ぐ帰って、こんなものはすぐにでも消すつもりだった。

まるで何もなかったようにしてしまえばそれで終わりなのだから。

それなのに、今、その足は止まってしまっている。
自分の部屋を目前にして、ピタリと足は動かなくなってしまった。





それは……明かりを見てしまったから。





自分の部屋に灯る明かり。

もう日が沈んで、暗い夜になったせいだろうか。
やけに明るくて、眩しくて、よく目に付く。
ザーザーと音を立てて降りしきる雨に、その光が幻想的で儚いようなふうにも、真っ直ぐで力強いようにも感じられる。




ただその場に立ち尽くすことしかできなかった。




冷たい冷たい雨は、体に付いた自分のものではない誰かの匂いを消してくれるのだろうか。

誰かの中で流れ、その命を動かしていたその匂いを―





人を殺めることに抵抗がないわけではない。

ただ、“それが任務だから”で割り切れるなんて思わない。
この里の忍として、火影の命でそれをしなければならないからそうしている、というだけ。
平和や幸福のためとは、もう人生の大半を忍として生きているが1度も思ったことはない。

誰かが死ぬことで得られるものなど気休めなのである。
人一人が死ぬだけで、世の中に劇的な変化をもたらすなんて稀。
それがこれまでに見てきた世界、だ。

殺めることで得られるものなどあったとしても僅かであるのに、殺めなければならない事実。
決して割り切っているわけではないが、それでもなんとかやってきた。
やってこなければいけなかった。




でも今は―




空を見上げ、頬伝う雨に、すべてを流し去って欲しいと、そう思った。

自分の服に染み込んでいる、誰かの血も、これまでのそれらも。

今、足元を見ればここから逃げ出してしまいたい気持ちに襲われそうな気がする。
とても今の自分ではあの部屋には行けない。
あの部屋で、あの人を見つめることも、見つめられることもできやしない。


何の穢れのないを、他人の血で染まった自分が包み込むなんてしてはいけないのだ、と。










「…ほら濡れてる。」











見上げていた空が急に赤くなって、頬を伝っていた雨も止んだ。

そして温かい声が背中の方から聞こえてくるが、それが恐ろしいように感じられてゲンマは振り向けずにいた。



「ほら、帰ろう?ゲンマ…」



また、温かく、まるで自分を包むような声が掛かる。

きっと今、後ろにいる人物はゆっくりと、その声と同じように温かく微笑んでいるのだろう。
顔を見なくとも、声だけでわかるほどになった関係、なのだからきっとそうであろう。
わかっているのに、それでも振り向けない自分がそこにいる。


何かの恐怖と拒む気持ちで逃げ出したいとさえ思う自分は、本当に弱くて愚かな人間だと思う。




「………!!」




ふいに、左手に温かさを感じて思わず体を強張らせた。

ゆっくりと、自分の左手を確かめれば、自分の手よりどれだけも小さく、薄い手が握り締めている自分の手に
そっと添えられていた。



「こんなに冷たいじゃない。」



そういう声は震えるようで、いや、震えていて。
はっとして振り返れば、先ほどまでの自分のように、の頬には雨が伝っていた。



、お前…」


「家に帰ろう。ひとりじゃないから。一緒だから…」



泣き出しそうな掠れたの声を遮るように、添えられていた手を握りしめ自分の方へと引き寄せていた。

もう自分の服に付いている他人の血も、これまでに付いたそれも頭になくなっていた。

ただ、強くを抱きしめる。
の持っていた傘はその衝撃で、バサリと音と立てて下に落ちた。
一瞬、驚いた表情を浮かべたも、背中に腕を回し、応えるようにそれに力を入れた。
その肩が小刻みに揺れ、泣いていることがわかった。


「すまなかった。」


立ち止まっていた自分と、逃げ出したい気持ちだった自分。
には会えない愚か者だと思いながらも、拒むことでじゃなく自分を守っていた、もっと愚か者だった自分。
自分のために、自分の事を思って不安や心配になって、肩を震わせ泣いているにゲンマは後悔しながら、
ただ謝るしかなかった。




 “ひとりじゃない”



冷たい雨が降り続くのは自分だけじゃない。



   “一緒”



そう同じなのだ。
自分もも。



自分が他人を殺める立場になったのは、昨日今日の話ではない。
それを知っているのは自分もも、なのだ。
わかっていて、これまでも今も隣にいるのだから。



「…もう馬鹿な考えはやめる。だから…これからも一緒にいてくれるか?」


「もちろんだよ。ゲンマも…一緒にいて。」




そう互いに確かめ合って、瞳を閉じて軽くキスを落とした。
それがふと照れくさくなって笑い合うと、手を取り、落ちた傘を拾って歩き出す。



明るい光の灯る部屋へ



真っ直ぐと輝いている世界へ



きっと2人一緒ならばどんなことがあっても大丈夫、だから―































アトガキ
web拍手のお礼小咄として、公開していたお話に加筆修正しました。
基本的な話の流れは変わっていませんが、どうも伝わりにくい話だったのでその辺りを修正したつもりですが…
まだ、伝わりにくいですね。

甘い夢のつもりで書いていたのですが、ちょっと暗いお話になってしまって…
あまりこういう感じの話を書かないのでドキドキです。




2006.5.29
2006.7.14 加筆修正 up



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