―コンコンッ

ベランダのある窓からそんな音が聞こえて、
は読んでいた本を伏せ、カーテンをそっと開けた。



「よう。」

そう言いながらゲンマが手を挙げる。
その姿を確認しながら、はゆっくり窓を開けた。

もうすでに外は真っ暗で、上には星空が広がる。
そんな中にポツンと立つ彼の姿は、月明かりに照らされて、
額当てから伸びた髪を光り、幻想的に映し出されていた。
―また綺麗だなぁ
惚れてるから、そういうこともあるだろうけど、その姿を見れば誰だってそう思うに違いない、
はクスッと微笑んだ。

「寒いでしょ?中入る?」

近くにあったカーディガンを羽織ながらゲンマに問う。
開けた窓からは、肌寒い風が部屋へ吹き込んできた。

「いや…」

「そっか。わかってるよ。
 任務、なんでしょ?」

言わなくても承知、そんな顔をしてが少し微笑む。
こうやってゲンマが突然家にやってくるとき。
しかもそれが玄関じゃなく、窓から。
もう付き合って長いにはそれらの要素からこの行動の意味を知っていた。
そう、緊急の任務。
しかもそれが長期になることを意味しているのだ。

「今回はどのくらいになりそう?」

「早くて3週間。もしかしたら1ヶ月になるかもしれない。」

「そっか。わかった。」

が軽やな声で、いつものように答える。
そんなの様子をゲンマは心がキュッと締め付けられた感じがした。



いつもどんな長期任務の前でも、
たとえそれが今日のように突然でも、
送り出すときには微笑んでくれている
その姿は、ゲンマにとって心強くて、ほっとする、そんな感覚を与えてくれる。
以前、たまたま仲間にこのことを話したときに、
“理解のある彼女でいいですね”とか“心が広くていいですね”なんて言われた。
ゲンマもそう思っていたし、そう言われて、自分が褒められたような感じがして、
気分だってよくさえなった。

でもあるときにゲンマは知ったのだ。
は理解だってしてないし、心が広いなんて言葉では表せないことを―


前にこうやってきたときに、言い忘れたことがあって
またの家へ戻ってきたときのこと。
まだがベランダにいるのが見えた。
その姿はいつもの細い肩をよりいっそう細くさせて、空を見上げて。
見るからに寒そうなその姿に、
“風邪引くぞ”、そんなことを言おうとして、そっと近づいたときに
の頬を光るものが伝うのが見えた。
…!?
思っても見なかったその姿に、思わずゲンマは身を隠した。
が泣いている”、それはあまりにも意外すぎて。
掛ける言葉はどれだけ探しても見つからない。
その上、一気に上がった心拍数を抑えられずにゲンマがあたふたしていると、

「ゲンマ、早く帰ってきて」

そうつぶやくの声が聞こえた。
擦れた声で、小さいその言葉。
誰に言うでもなく発した言葉は宙を舞うようだった。
“泣いていた”、それだけでも衝撃的で言葉を失ったのに、
その発せられた言葉にゲンマは動くことができなかった。

ただ改めて思うことは、
だって普通の女なんだ”、それだけ。
がゲンマに見せていた、作り出していた姿を信じ込んで、
自分はすっかり甘えていたということ。
それに満足して、幸せまで感じていたということ。
自分が知らなかった真実の姿を知った今、オレはどうする?
あまりにも予想だにしなかった展開への驚きと、
自分の愚かさにただ後悔する、それしかゲンマにはできなかった。

そのときも、その後もにはそのことは話していない。
いや、掛ける言葉が見つけられずにいた。

そして今に至る、というわけなのである。





「…、平気か?」

の顔を見つめていたゲンマが小さく聞いた。

「なにが?私は大丈夫。」

ゲンマの声を不思議に思いながらも、いつものように答える。
そのの声が切ない、ゲンマはそう感じたが、
これ以上、何かを言おうとすれば、これまでが耐えてきたことを台無しにしてしまう、
それがわかったゲンマはそれ以上なにも言えなかった。

どちらが何かを言うわけではなく、しばしの時間が流れた。
夜風がその間をスーっと通った。


「そろそろ行かないと待たせるんじゃない?」

がゆっくり口を開く。
ここへ来ているために、任務を言い渡されて集合するまでの、準備をしに一旦家に戻る時間を
使っているのをはよく知っていた。

「あぁ。そうだな。」

に促されたゲンマは、ゆっくり背を向けた。



「やっぱり」

そう言いながらゲンマが振り返る。
と目が合ったまま、ただ何も言わずにへと近づいた。

ゲンマの様子に明らかに、“どうかした?”、と言いたげな顔を
がしていることはわかっていたが、ゲンマは何も言わなかった。

そしての目の前まで来て。
ゆっくり両手を伸ばしてを強く抱きしめた。

「ちょ、ちょっと!?どうかした?」

一連のゲンマの行動を何も言わずに見ていたが、
ゲンマの胸から顔を見上げて言った。
しかし、ゲンマは何も言わずに、よりいっそう回した手に力を入れた。

「ねぇ、ゲンマ?なんか言ってよ?」

「…泣くなら1人じゃなくて、ここで泣け。」

「えっ?」

いつもよりも低音で擦れかけているその声。
ただ、はゲンマの顔を見上げていた。

「オレはやっぱりを1人で泣かせておくなんてできねぇ。」

「………」

「泣くなとは言わねぇ。だけど1人で泣くは耐えられねぇんだ。」

「………知ってたの?」

「あぁ。」

「いつから?」

「2ヶ月前くらい。」

もっと早く気付かなくて悪かった、そう切なそうに呟いて。
ゲンマはの頭を自分の胸にくっつけた。

「泣くなら今泣いてくれた方がいい。なぁ?」

「ゲンマ…」

ゲンマはできるだけの優しい声で言うと、の頭から背中にかけてゆっくり撫でた。
しばらくして、の肩がよりいっそう小さくなって、
小刻みに震えているのがわかった。





「ゲンマのベスト、濡れちゃったね?」

落ち着いたのか、が苦笑いしながら言う。
“すぐ乾くさ”、そう言ってゲンマも笑った。

「あのね、ゲンマが長期任務のときは毎日、
 ここから夜空見てたんだ。」

真っ赤になった目で、空を見上げながらが言う。
ゲンマもそれに釣られて、一緒に空を見上げた。

「どこへ行っても空だけは続いてるから。
 だからそれを見てればゲンマが近くにいるような気がして。」

「今回も見るのか?」

「うん。見てればちゃんと帰ってきてくれたし。
 願掛けも込めて。」

「じゃあオレも見てるから。」

「えっ?」

「オレも見上げてのこと考えてる。」

「ありがとう。」

そう微笑むは可愛いというより、綺麗で。
今さらながらゲンマは惚れた、そう実感した。

「任務行きたくねぇな。」

幸せすぎるこの瞬間を壊したくない、そんな気持ちがいっぱいで
ゲンマがふと呟いた。

「行かなきゃだめだよ?みんな待ってるし。」

そんなことを言うゲンマが珍しくて、
まるで子どもが駄々をこねるような感じがしては噴出しそうになった。

「そうだよなぁ。」

「そうだよ。」

「でも…」

「でも?」

「…もうちょっとだけこうしてたい。」

あまりにも愛しすぎて。
やっと本当に近くにいれるような気がして。
ゲンマはに回した手に改めて力を入れて。
の頭に自分の顔を当てた。
“変な、ゲンマ”、ふっと笑ってもゲンマの胸に顔を埋めた。











アトガキ

私はゲンマさんの胸板と背中が大好きなんです。
大きくないですか?
すっごく男らしさを感じます。(笑)

2006.3.13 up




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