爽やかな風が通り抜ける細長い廊下。



私はさっきからここを行ったり、来たりしている。





この季節の廊下は、やわらかい光と心地よい空気をたくさん吸い込んで、その上、時折ピンクに色づいた桜の花びらが舞い込んでくる。



―こんな日は、家に帰って洗濯をして、ついでに布団も干して…
 紅茶でも片手に、読書でもしていられたらいいのに…


ひらひら、と舞う桜に目が止まる。 すると、ぽわわん、との頭を想像の世界が支配し始めた。




「……ガシャン!」




その、廊下の先にあるドアの音が閉まった音で の頭は一気に現実の世界に引き戻された。

―あ、今は目の前の問題をなんとかしないと…

ブンブン頭を振りながらは音のした方をじっと見据えた。


“目の前の問題”


“先にある上忍待機所に入ること”、ただそれだけである。


とても簡単なことに思えるそれであるが、新米特別上忍のにとってはそこから新たなスタートを切ることと同じ。
それにプラスして、あまり知り合いのいないにとっては、本当に“新しい”環境に入っていくことなのである。

―はじめって大事だからなぁ

はふぅ、と胸に大きく息を吸い込むと、それをゆっくり吐き出した。







そうこうするうちにまた待機所の前に着く。
こうやって待機所のドアの前に立つのは、今日7回目のことである。




―まず、名前を言って…それから、“お願いします”でしょ?
 あ、ついでに趣味とか言ったら…おかしいか…

 ん?ちゃんとお辞儀もするべき…だよね?
 絶対するべきだけどいつすれば…入ってすぐ?いや、全部言い終わってから…?

 もうそれより、声の大きさとか…ちゃんと出るかな…裏返ったりしたら恥ずかしいし…
 しかもそれで笑ってもらえればいいけど白い目で見られたらどうしよ…
 絶対明日から来れないっていうかもうその場にすらいられなさそう…あぁ怖いなぁ…




ドアノブに手を掛けながらそんなことを考える。

結局ここへ来て思い浮かぶのは最終チェックを超えた、余計なことばかり。
たしか、さっきはそのドアの敷居に足を取られてこけてしまったら…なんてことを想像していた。

―あー…やっぱり緊張する…

胃がキリキリして、嫌な汗が体中に流れる。
それだけじゃなくて、お腹もなんだか痛くなってきた気がする。

―…やっぱりもうちょっと考えようかな

今回もまた、決心をつけることのできなかったは、大きく息を吐き、ドアノブに掛けた手を離そうとした。






「おい。」






いきなり後ろから声がして、思わずの肩がビクッと反応する。

―わ、私のことだよね?ねぇ!?

その声に背筋が寒くなり、の全身は一気に硬直して後ろが振り返れない。

“なにか言わなければ…”、そうは思うが、なかなか頭の回転が追いついてくれない。
“どうしよう”、その言葉だけが頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。


「…お前、さっきから何してんだ?」


が何も答えられないでいれば、また後ろの人物は話しかけてくる。

―な、何って!?それは・・・えっもしかして見られてた…!?

さっきまでの自分を思い浮かべて、の顔がすーっと火を噴くように熱くなっていく。

いつから後ろの人物が自分を見ていたのかは定かではないが、約半日、この廊下を行き来してたわけで。
“何をしていたか”なんてことが説明できる勇気があれば、もうとっくに待機所に入れていただろう。


がそうこうするうちに、なにも答えないことを不審に思っているのか後ろからの視線を強く感じる。
はぎゅっと目を瞑った。


「入るのか?入らねぇのか?おい?」


そう言いながらの左肩にポンと手が置かれる。



「あひぃー!!!!!!!!!!」



あれやこれやと答えるべきこと(言い訳)を、頭をフル回転させて考えていたは、どこから出てきたかわからないような声を上げた。
もう心臓バクバク、口から心臓が飛び出すとはまさにこのことである。


「んだよ!?」


廊下に響き渡るの声に、思わず後ろの人物も少し後ずさりした。









互いに何が起こったのかよくわからず、しばしの沈黙が流れた。




先に動いたのは、後ろにいた、声をかけた人物だった。
相変わらず全身に力を入れて、動かないの顔を後ろから覗き込む。


―ちっちぇな、コイツ


こんな体勢が取れることに、ふとそんなことを思う。

覗き込んだ顔は力いっぱい目が閉じられていて。
体はまるで悪いことをして叱られる子どものように思いっきり力を入れて固まっている。

まったく訳はわからないが、なんだか必死さが伝わるその様子はどこか微笑ましくも思える。


「別にとっ捕まえたりなんかしねぇから。…ほら、目ぇ開けろ。」


―コイツがまず何なのか、それを聞き出さねぇと。
 …そのためには今の緊張を解くのが先だな…

そんなことを思いながら、小さな声でゆっくりと話しかける。
すぐに、ではなかったがなんとか気持ちが伝わったようで相手も言葉に従って、ゆっくりを目を開けていく。
そしてこっちに向けられた目と、その表情に思わず言葉を失った。

―こりゃ、ヤベぇな

まるで子猫のように潤んだ瞳。
“純粋無垢”という言葉がよく似合う、その表情。
これは誰が見たって惹かれるだろう、そんなことを思った。


「…す、すみません!!本当すいません!!」


目が合ったその人物は、次の瞬間、ひたすら平謝りを始める。

―忙しいやつだなぁ

そう思わずまた、微笑んでしまいそうになる。
“見ていて飽きない奴だなぁ”、それがこの一連の行動からのコイツの印象だった。




優しい声につられて目を開ければ、ばっちり視線が重なってしまった

―もう明日どころか、今日から待機所にはいられないよ…

たぶん、見た感じからして上忍か特別上忍の人だろう。
いろいろ予想していたことをはるかに上回る、あってはならない大失態。
もうすぐにでも逃げ出したくて、泣きたい気持ちでいっぱいだったが、すでに迷惑をかけてしまっている。
は必死に頭を下げながら、謝るしかなかった。



「そんな謝んな。驚かしちまって悪かったな。」



必死で謝りつづけるに、相手が声をかける。
その声はなんとも優しくて、その言葉以上に温かく感じる。
そして、ポン、とまた肩に置かれた手は安心を与えてくれて…この優しさには思わず泣きそうになった。


「ホントすいませんでした!」


そう最後にもう一度、よりいっそう頭を深く下げては謝る。
そこでやっと、ずっと上がりっぱなしだった心拍数が落ち着き始め、頭の中の混乱も沈静され始めた。

深く下げていた頭をはゆっくり上げ、相手の顔へ視線を移す。

―うわっ!綺麗な顔…!

そう口にしてしまいそうなくらい、整った顔がそこにあって思わず顔を赤らめてしまう。
楊枝を銜えて、上下させていることが少し不思議だったが、それすらも絵になってしまうほどの端整な顔立ち。
その上、投げかけられる視線は包むような優しいもので。
さっきは一瞬目が合っただけでわからなかったが、こんなにも美形な人に大失態をしてしまったことがわかった今、
再び、逃げ出したい気持ちでいっぱいになった。


「…でお前、なにやってたんだ?話したくなければ話さなくてもいいが…」


顔にすっかり見惚れていただったが、その言葉ではっとした。
そう、先ほども投げかけられた、その質問。
“話さなくてもいい”、そう言ってはくれているが、話さなければ私は不審人物にしか思われないだろう。
しかも、この人はきっと上忍もしくは特別上忍であるわけで、今後任務で一緒になれることだって大いにある。


―もう正直に話そう


はそう決心するしかなかった。
不審に思われるよりもすべてを話して、自分がどれだけ小心者なのか知られた方がよっぽどマシだと思う。
それに、ここまで優しく扱ってくれるこの人ならば正直に話せばわかってくれるかもしれない。
いや、わかってくれるとそう信じて。





予想通り、が話す間、その人は何かを言うわけではなく、ただ、ずっと静かに聞いていてくれた。

―本当…いい人でよかった…

そうは実感しながら、心をじーんとさせていた。



「んじゃあお前は今日から特別上忍ってことなんだな?」



最後までの話を静かに聞いていた人物が、ゆっくり口を開く。
も“そうです”と、短く答えた。


「俺は不知火ゲンマだ。お前と同じ特別上忍。よろしくな。」


そう言って、右手を差し伸べる不知火ゲンマさん。
まさかこんなことをしてくれるなんて思っても見なかったは目を潤ませながらも、右手を差し出してその手に触れると、“お願いします!”、と言った。


「よし。」


そう言って、不知火さんが微笑む。
その顔の綺麗さにまた赤面しながらもは同じように微笑んでいた。































アトガキ
ずっとやってみたかったシリーズものの第1話。
逆ハーのような、そうでもないものにしていきたいです。
まずはゲンマとの出会い。
次回は銀髪と髭出てきます。

2006/3/5 HPの試運転開始で試掲載




ONE BY ONE 1*close