“この後、お時間ありますか?”






そんなことをお前が言えば誰だって、“ある”と答えるだろう。


少し言いづらそうに視線を外しながら言われれば確実に。



“殺し文句”ってもんだ。



その姿と言葉に心を躍らせないヤツなんていない。

現にそう、今のオレの心は恥ずかしいぐらいに高鳴って、声だって上擦ってしまいそうだ。































 「・・・」





 「・・・」









ただ静かな時が流れる。


部屋の中に聞こえるのはペンを走らせる音と、時折紙を捲る音のみ。


ただ黙々と、目の前に置かれている書類の山と格闘しているだけである。




真夏、という季節にこの任務は本当に気がどうにかなりそうなものだと思う。
炎天下の中、他国に赴いたり、国境を警備をしたり。
そんな、どちらかと言えば体を使う任務もそれはそれで辛いものがあるが、それを知っていても地獄だと思えるこの任務。


―ひたすら目の前に置かれた書類に目を通し、それを重要度やら用途やら内容によって分けていく、というもの


なんとも事務的な作業と言えるもので、“自分じゃなくても…”、とも思ってしまうがそうもいかないらしい。
里の明日を左右するような、そういった内容の書類も少なくはなく、またこの膨大な書類をできるだけ早く、
且つ的確に処理しなければならない。
そのどちらにも不足のない者―要するに書類の内容を他言せず、集中力を保てる者、でないとこれはできないのである。


しかし、だ。


もうこの手の任務を何度もこなしてきたゲンマはキリリ、と銜えている楊枝を噛み締めた。

それなりにどんな任務でもできると思っているし、こういう任務に自分が指名されるということは自分の能力を認められている
ということだと誇りに思っている。
だから、任務の内容に不満なんて微塵もない。
ただ不満なのは・・・この任務に宛がわれたこの部屋、だ。

日当たり良好で燦々と太陽が降り注ぐ、建物の最上階。
まあ最上階といっても3階建ての3階、なのだが―

―どうしてこの任務にこの部屋なのか

それを考えると、目を通しているはずの書類の内容が頭に入ってこなくなるくらいに腹立たしい。
冬場ならばこの部屋を喜んで歓迎する、というものだが、今の季節は夏。しかも、真がつくほどの夏、真夏なのだから。

とりあえずカーテンを閉めることで、差し込む強い日差しを防ぐことができたものの、
それまでに十分熱されたこの部屋の温度が下がるわけではなく。
窓を開け放ってみても、ほとんど風なんて吹き込んでくるわけではなく、吹いたかと思えば熱風が弱く入ってくる。
そこで頼る冷房器具は扇風機。
暑さの解消のためにそれを回せば、心地よい風を送ってくれるがこの任務。
手元にある書類が飛ばされそうになったり、山のような書類がビラビラ、と音を立てて靡いたりするが鬱陶しい。
この気温や室温で最大の力で扇風機を回したいものだが、今は足元だけに微弱な風が送られている。


額にじわり、と汗が浮き上がってくる。


いつもは頭に巻いている額宛もこの状況ではとても巻いてはいられない。
額宛もベストも外し、夏仕様に短くなっている袖を捲り上げる。
できる範囲の暑さ対策をしてみてもやっぱり暑いものは暑く、ゲンマは眉間に皺を寄せつつ、目を通し終わった書類を箱の中へ入れた。

次の書類を取るべく手を伸ばせばちょうど1つの山が片付いたところであることがわかる。
あと半分。
まだまだ気の遠くなるような作業ではあるが、ここまで終えたという達成感に大きく両手を伸ばして伸びをした。


「・・・」


チラリ、と視界に入る手につられるようにして、右隣の方へと視線を動かす。
髪を結んではいるが、その纏まりに入り損ねた髪が汗でぴったり首についている。
右手でせっせとペンを動かしながらも、その暑さに左手を扇ぐようパタパタ、と動かしている。

―コイツがいなかったらたぶんこの暑さに耐えられないだろうな

ただひたすらに書類と向き合うその姿にゲンマは頬を緩め、そして何か思いついたように手元にある書類を手に取った。


「・・・っ!」

「暑いな。」

「暑いですけど…何してるんですか?」

「扇いでる。ん、邪魔か?」


そう言いながらもゲンマは手に持っている書類をパタパタさせての方へと風を送る。
はそれに“いいですよ”、“悪いですから”、と両手を前に出してそれを静止させようとするがゲンマは手を止めない。
が慌ててれば慌てるほどにゲンマは頬を緩ませていた。


「そんな…!いいです、大丈夫ですから!」

「仕事の妨げになるならやめるが?ほらその書類終わらせて少し休憩取ろうぜ?」

「え、あ、はい!すみません…」


は頭を小さく下げると、ペンを手に取り、視線を書類へと向けていく。
必死にゲンマの手を止めようとしていた顔もみるみるうちに先ほどまでの真剣な目つきに変わっていった。
そんなの邪魔にならないようにゲンマは軽く扇ぎ続けながらも、ただじっとその顔を見ていた。





「…できました!」




程なくして、はピタリと手を止め、1度書類に目を通し直すとそれを箱の中に入れる。
満足げな顔をしながら伸びをするに、ゲンマは“お疲れ様”と声をかけた。


「扇いでくださってありがとうございました。それと、時間掛かってしまってすみません…
 これ、ほとんどゲンマさんがやられましたよね?」


そう言いながらがやり終えた書類が入っている箱へと視線を向ける。
眉を下げるその表情は言葉以上にの気持ちを表しているようであった。

が言うように、確かに山積みだった書類の半分の作業が終わって振り返ってみれば、その、ほぼ7割の書類を終わらせたのはゲンマだった。

ゲンマはふぅ、と息をつくと苦笑いを浮かべた。
そしてそのまま、伸ばした自分の手をの頭にポン、と乗せた。


「こういうのは慣れ、だ。オレはもうずっとこの手の任務、やってるから。」


そう言いながら、まるで子猫にそうするかのようにゆっくりと3回、の頭を撫でた。
頭に手を置かれたときには一瞬、目を見開いて、体を強張らせただったが、その言葉と行動にまた一回り目を見開きながらも
すーっと上がっていた肩を落とし、少し頬を染めながら微笑んだ。
ゲンマもそれと同じように柔らかい表情を浮かべる。


「そうですか…?」

「そうだろ?何度もこなしていくうちにコツ掴んでくってもんだぜ?」

「はい…」

「気にすんな。あー、しかし今日は暑いな…」


楊枝を上下させながらゲンマが扇風機の風を強くする。
ビラビラと音を立てて書類が靡くが、しっかりと重石を置いてあるために飛んでいくことはない。
勢いよく吹いてくる風に、すーっと体感温度が下がるような気がした。


「これだけ暑いとだらけちゃいますよね。」

「そうだな…でもちゃんと仕事してんじゃねぇか?」

「それは、ゲンマさんがしっかりやられているので私だけだらけられない、っていうか…」

「ん?」

「あー、なんて言えばいいんだろう…」


うーん、と唸りながらが考え始める。
ゲンマはそのの姿が面白くて笑い声を上げそうにもなったが、があまりにも真剣な表情を浮かべているのでそれを堪える。
しばらく視線を斜め下に落として、どこかをじっと見つめていたはふと視線を上げると口を開いた。


「…ゲンマさんを見てたら私も頑張らなきゃって思うんですよ!」


“そう、そうなんです”、そう付け加えるとが満足したような笑顔を浮かべる。
きっと自分の言いたかったことがうまく表現できたのだろう。
ゲンマは、反射的に“そうか”、と答えたものの、自分の中での言葉を繰り返すと、ピタリ、と動きを止めた。

―それってさ…

聞きようには告白にも取れる内容。
もちろん、それを言った後のの笑顔を見ていればそんな気がないことは明らかではあるけれども。
それでもにそんなことを言われたら心拍数がこの上ない勢いで上がっていく。
余計なことを考えている、とわかっていてもの言葉がゲンマの頭の中を支配していた。


「どうかしましたか?」


様子の違うゲンマに気がついたのか、が不思議そうな顔をしながらゲンマに問う。
もちろん、“いや、が告白紛いなことを言うからびっくりした”などど言えるはずもない。
ゲンマは大きく深呼吸すると、“なんでもない”、と笑顔を作りながら答えた。


「私もゲンマさんみたいに、テキパキできるようになりたいです。」

「そうか?…まあ今のも十分テキパキしてると思うぜ?こんな暑い中で慣れないことしてる割には集中切らさねぇし。」

「そ、そうですか!?ありがとうございます!」


そう嬉しそうに零れんばかりの笑みを浮かべるに、同じようにゲンマも微笑んだ。
そして、扇風機に手を掛けると、その力を弱くする。
一気に体感温度が上がり、もわっとした嫌な暑さに体が包まれていく。


「さーそろそろ再開するか。」


大きな伸びをしたゲンマが目の前に積まれている書類の山から一つ、手に取る。
それを見ていたも、“そうですね”、と言いながら同じように手に取るとその書類へ視線を落とした。


「あ、ゲンマさん?」

「ん?」


互いに視線を落としたばかりだったが、また顔を上げて目を合わせる。
声を掛けられたゲンマは何事かと、の顔を眺めていたが、はすっとその視線を外した。
余計に何かわからないゲンマは揺らしていた楊枝を止めての顔を見る。
チラリ、と盗み見するようにの視線が1度こちらに向いたようだが、やはりまたすぐに逸らしてしまった。


「どうかしたか?」

「えっ…あ、あの…」

「?」

「…この後、お時間ありますか?」


そう言うとがやっと目を合わせる。
が、今度は逆にゲンマがふと視線を逸らした。

―どういう意味だ……?

またもゲンマの心拍数が跳ね上がる。
全身が心臓なんじゃないか、というくらいに心音が体のあちこちで響く。
口が開いてしまって、思わず銜えてる楊枝を落としそうになった。

先ほどの言葉は勝手に自分が思い込んでいたが、今度は違う。
視線を外して、言いづらそうにして、それで発せられた言葉なのだから。

今までにないの様子にゲンマは頭をフル回転させるがその本心が読み取れない。
ただ黙って、の顔を見ているしかなかった。


「あの…もしお時間があるなら一緒にかき氷でも食べに行きませんか?暑いですし…」


が何も答えないゲンマにそう付け加える。
俯き加減の姿がゲンマの心をまた高鳴らせた。


「…確かに暑いからな…。じゃあ終わったらかき氷な。」


からの誘いを断る理由なんてない。
なんとか平静を装いながらゲンマがそう答えると、の顔がぱっと明るくなっていった。
それに落ち着き始めていたゲンマの心拍数が一気に上がり始めるのを感じると、気を紛らわせるように書類に目を向けた。




























「…終わりましたねー。」



「終わったな…」





残っていた書類の山を片付けて、ゲンマとがそれぞれ大きく息をつきながらそう口にする。

あれほどまでに高く、目の前に積まれていた書類はなくなり、目を通し分類されたものが箱の中に納まっている。
長時間、この暑い部屋で黙々と書類に目を通していたという疲労感もあるものの、それ以上に終えた達成感に包まれて、
ゲンマもも自然と表情が柔らかくなっていた。


「じゃあ私がこの書類は持って行きますから。」


そう言いながら、椅子から立ち上がり書類の入った箱に手を掛ける。
ぼーっとしていたゲンマであったが、すぐさま立ち上がるとそのの手を静止した。


「いや、重いからオレが持っていく。」

「大丈夫ですよ、このくらい。…それにほとんどゲンマさんがやられたのでこのくらいは私がしないと釣り合いが取れません…」

「んなこと気にするなって。別に一緒に持って行けばいいじゃねぇか?」

「ダメです!私がしたいんです。そうさせてください。お願いします。」


がじっとゲンマの目を見つめる。
あまりにも真っ直ぐで力のあるその目に、ゲンマはやれやれ、といったように苦笑いを浮かべればが嬉しそうに頬を緩めた。
そして、書類の入った箱を積み上げるとそれを持ち上げようとする。
一瞬、持ち上げたときにふらつくにゲンマは思わず手を出しそうにもなるが、またもの真っ直ぐな視線がゲンマに刺さって
ゲンマは出しかけた手を引っ込めた。

だって1人前の忍、なんだからな

普通の女ならばきっと持ち上げることのできないそれを持ち上げ、歩き出したの後ろ姿を見て、ゲンマはそう痛感していた。




「…あの、玄関のところで待っていてもらえますか?」




その言葉に、忘れかけていた“かき氷”のことをゲンマは思い出す。
から誘われた”ことと、“と一緒にかき氷”ということを思うとまたゲンマの心臓が跳ね上がる。
ドクドク、と音を立てて、全身を巡っている血の速度が上がっていくような感覚に包まれた。


「できるだけ早く行きますので。」

「お、おう。待ってる。」


そう言葉を交わして別れると、はスタスタと廊下を歩いていく。
しばらくその後ろ姿を見送っていたゲンマだったが、の背中が見えなくなると約束をした玄関へと歩き始めた。



















思い出すだけで笑ってしまいそうになるような心を抑えて玄関を出てたところで立ちながら待つ。



ずっと玄関のドアに視線を投げかけて、誰かが出てくるたびにではないかと確かめている自分が情けないような気にもなったが
それをやめられない。
無意識に人の姿を追ってしまっている。

そしてただ早く、が来てくれないかと待ち焦がれていた。






「あーやっぱりゲンマもいたんだ…」


「そういうことらしいな…」





ふらふらと2人の姿が見えてくると、そう声がかかる。

もう誰だと確認しなくてもわかるその声と、その姿と、その様子にゲンマはため息をついた。


「ゲンマもらしいね、どうやら。」


苦笑いを浮かべたカカシがゲンマの肩に手を置く。
煙草を銜えているアスマもカカシと同じように苦笑いを浮かべていた。


「…何がですか?」


明らかに不機嫌そうにゲンマがカカシに聞き返す。
“あ、そうかわからないか”、とカカシがぼそり、と呟けばまた嫌味のような笑顔を投げかけてくる。
そしてゲンマの肩に置いていた手でそこをポンポン、と叩くとそのままゲンマの隣に立った。


「…に誘われたんデショ?」

「…えっ?」

「あーどうやらそうらしいな、その顔は。カカシもだったときに、“もしかして”とは思ったが、まさかな…」

「あの、何の話です?」

「だから、にかき氷食べに行こうって誘われたんデショ?幸運にもか、不運にもか、オレ達も同じってわけだよ。」

「ってことだ。」


カカシとアスマの言葉にゲンマは固まる。

―まさかこういうことだったとは…

先ほどまであれほど高鳴って仕方がなかった胸は、ぴたり、と凍りつくように止まった。
体が冷たくなるような感覚にさえなってくる。

確かには、カカシやアスマも一緒、と言わなかったが、2人で、なんてことも言っていない。
ただ勝手に思い込んで、1人で舞い上がっていた、それが現実なのである。

―バカだな

ゲンマは一気に来た疲れのようなものに、ガクリ、と大きく肩を落とした。








「あの、ゲンマさんどうかしたんですか?」



そんなが優しく気遣う言葉も今のゲンマには無意味、もしくは逆効果で。
ずっとどこか落ち込んでいるゲンマの姿を本来なら笑い飛ばしたいカカシやアスマもその哀れさにため息混じりに励ましていた。

































アトガキ
そういえば、ゲンマさんがメインの話を書いてないな、と思いましてゲンマさんがメインに。
いつもゲンマさんはいい思いをしてるのでちょっと可哀想にしてみました。
実はこの続きも考えてあって、書くつもりだったのですが長くなりすぎたので断念しました。
もしかしたら続きもかくかもしれない・・・あくまでかもしれないです。



2006.8.24 up



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