ぽかん、と空を見上げて思う。
“楽しい”、って何だろう、と
“生きている”、って何だろう、と
“このままでいいのだろうか”、と
スイッチを入れるように、パチン、と音がして何かが変わればいいのに、と
今日もまた、この和菓子屋で私は働いている。
すごく人気があるというわけでもないが、人っ子一人来ない店でもない。
味も値段も、すごくおいしいわけでも、すごく安いわけでもない。
ごく、ごく平均的な和菓子屋。
私はそんな店で、何年か働いている。
職人ではないから、ここにある色とりどりの菓子を作ることはさすがにできないけれど、それ以外のことならこなせる自信はある。
レジや接客、ここにある商品の説明もその陳列も、できないことはないと思うし、店を切り盛りしている旦那さんや奥さんにも
そういう仕事を任されるのだから、それなりの信用も得ていると思う。
ここで見る、何度目かのこの季節。
店先に、水を撒きながら、その日差しに軽い眩暈を感じそうにもなる。
柄杓で桶から汲んだ水を、びちゃ、と音を立てて地面に撒けば、一瞬土の色が変わる。
少し色を濃くして、またしばらくすれば元の色へ戻っていく。
その呆気ない変化に、この暑さを凌ぐ行為も気休め程度にしかならないものだと思っていたが、
意外にもそうではないことをここで働くうちに経験した。
水を撒いた後には、不思議と、まるでその涼しさにつられるようにして、店にお客がやってくる。
そして、水饅頭や水羊羹などといった、見た目にも涼しく、喉越しのよいものがよく売れる。
の口から自然とため息が零れる。
ここ何年も変わらない生活
繰り返されている毎日
決してそれが嫌なわけでも、不満なことがあるわけでもないのだけれど。
だからといって、気に入っているわけでも続けたいとも思っているわけでもなくて。
柄杓を持った右腕を額に当てて影を作りながら、眩しい太陽を見上げて思う。
―何かが変わればいいのに、と
「おい。」
しばらく見上げたままでがいると、誰かが自分の前で立ち止まった。
“お客かな”、そう思いながら柄杓を桶へ戻し、掛けているエプロンで適当に手を拭きながらその人物へ視線を向けた。
「いらっしゃいませ。」
そう微かに微笑みながら、よく言う営業スマイルでが声を掛ける。
どう見ても、こんな和菓子屋には似合わないような、忍装束を纏い、すらり、というよりは少しがっちりした男がそこに立っているが、
まあ、なんだかの理由があってここに来たのだろう、と勝手に解釈をしながら。
「あーそういうのじゃねぇ。ちょっと手ぇ貸せ。」
「はぁ?」
楊枝を揺らしながら、あっさりとその男が言う。
思わずは目を見開いて、その男を見つめる。
何がおかしいんだ、と言わんばかりの顔をしていたその男も、のそんな様子に何かを察知したような表情を浮かべると、
一つ息をついてから口を開いた。
「…そこに公園あんだろ?そこの清掃やるから人手が多いほうがよくてな。
そんな暇そうに突っ立ってるぐらいならちょっと付き合え。」
“暇そうに”、という言葉に一応は働いている身のは不満を覚えて、何も言わずに男を見る。
だが、その男はの視線の意味をわかっているのかわかっていないのか、飄々とした表情を浮かべているだけだった。
は、よりいっそうむっとした表情を浮かべてみせながら、口を開いた。
「あの、一応私もこの店で雇われている身ですので。いくらそういうことでも勝手に行くことはできません。」
もっともな理由を言葉にして、これで相手も諦めるだろうと思いながら一礼すると、男に背を向け店に戻ろうとする。
しかしながら、それは桶を持っていた左腕を掴まれることで制御されてしまった。
が驚いて振り返れば、顔色一つ変えないまま男が先に店の中へと入っていく。
まるで予想をしていたかのように動揺もする気配もない男をはただ見ていることしかできなかった。
何もできないまま、呆気に取られてその場に足を止めて、店を眺めていればこの店の店主である旦那さんと男が
なにやら話しているのが見える。
背を向けている状態のため男の表情は見えないが、旦那さんが一言、二言話して笑顔でお辞儀をしているのが見える。
それに応えるように男が軽く礼をすると、こちらに向かって歩いてくる。
そして、丁寧に店のドアを閉めれば、少し口端を上げている男の顔が目に入ってきた。
「店主には話つけてきた。つーことで、行くぞ。」
また、左腕を掴まれたかと思えば、持っていた桶を取られ、男が店の影へ置く。
すっかり男のペースに巻き込まれてしまっているは何かを言ってそれを止めたいと思うが、
反論することもなければ、その余地もない。
相変わらず、左腕を掴まれてはいるが、その力も強くも弱くもなく、が振り解こうと思えばできそうなほどのもの。
―この人は何なのだろう
不信感の類ではなく、ただ本能的にそう思った。
面識などないこの人。
強引でマイペースにもほどがあるのに、どこかでその間に距離を置いているような。
文句を言っても、この手を振り解いても、きっと自分には非はないのにそれをしないでいる自分。
とにかく、不思議な感覚だった。
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