「ふぅ…」









はドアの前で大きく息をついた。




今、がいるのは待機所でも任務受付所でもなければ、火影室の前でもない。




目の前にあるドアは、在り来たりな、どちらかといえば質素なもの。
ずらっと均等に並んでいる中の1つ。


はっきり言ってしまえば、自分の住む寮の部屋の隣の部屋のドア。
そう、お隣さんのドア、だ。




なぜそのドアの前にいるのか





それは少し時間を遡ったこと―


















任務の後、報告書を提出したは真っ直ぐ家に帰ってきた。


木の葉の里は今、1年で1番暑い季節に入ったばかり。


まだ夏本番とまではいかないが、街を歩く人たちの服は薄くなり、ハンカチで汗を拭ったり、手で扇いでいるのもよく見かける。
日に日に太陽の日差しの強さが増す、今日この頃。

そんな中で、たちの着ている忍装束も夏仕様へと変わった。
とはいえ、命がけでこの里を守る忍の服装。
生地が薄くなったり、通気性がよくなったり、という変化はあるものの、巻物や武器の入ったベストを重ね着してわけで。
待機所などの建物の中にいればまだ和らぐ暑さも、修行や戦闘となれば汗も出る上、蒸し暑いものだった。


そういうわけで、ベトベトする体に不快感を覚えながら家に戻ってきたはお風呂へ直行した。


お湯と水の蛇口をキュッキュッと音を立てて捻る。
湯船にお湯を溜めるまで待つという考えは毛頭ない今は、シャワーの蛇口を捻っている。
ボタン一つで温度調節ができないこの風呂にも、もう3ヶ月経った今では慣れたものになった。
確認しなくとも、感覚で自分の好きな温度を作ることができる。
勢いよく出始めたシャワーをは頭へと持っていく。
その汗でベトついている体から解放されることを期待しながら…







 「ひぃー!!!!!!」







ガタン、と音を立てて、手に持っていたシャワーを下に落とす。
その驚きと思わず上げた悲鳴で、一気に心拍数が上がる。
足元では音を立ててシャワーが出続けている。

―どうして…!?

真っ白になった頭の中で、その言葉だけが何度も木霊する。

今、シャワーから出てきたのは間違いなく、“真水”。
いつも浴びる、温かい、心地よいものではなく、お湯なんて1滴も混じっていない“水”そのものだ。

ポタポタ、と水の雫が髪の先から肩へ、肩から背中、足へと滑り落ちていく。
“くしゅん”、とはくしゃみをするとその体を振るわせた。

―お湯は…?お湯はどうしたの!?

足元に転がっていたシャワーを左手に取ると、右手でお湯の蛇口を捻る。
まるで願うように、くるくると限界まで回してみるがやはりお湯は出てくる気配はなかった。



予想だにしていなかったこの状況



いつも通りのシャワーだと思い込んでいて、疑う気持ちなど微塵もなかったは、見事に頭から真水を被った。
世の中の季節は夏であるのに、の体はガタガタと震えている。


「…うっくしゅん!」


水しか出てこないシャワーの前で、しばらく佇んでいただったがそのくしゃみに慌てて蛇口を閉めると、
タオルを手に取り、それで体を包んだ。








―どうして…昨日まではちゃんとお湯が出てたのに…



まだ髪は湿っているが、だいたいの水をふき取り、服を着たはそう考えてみるが、もちろん心当たりなんてものはなかった。
何かあったのなら、真水を被るなんてことはなかったのだから。



「どうしよう…」


すっかり体の芯まで冷えている体。
それにまだ、体も頭も洗っていない状態。

とりあえず、この部屋の風呂には入れない。
いくら夏でも水風呂に入るほどの心臓を持ち合わせてもいなければ、それですっきりするとも思えない。

―銭湯か実家か…

どうにかしてお湯の出るお風呂に入りたい。
しかしながら、銭湯も実家もここからだと少し距離がある。
瞬身の術などを使えばすぐに行くこともできるが、今日任務をこなしてきた身。
チャクラも消費しているし、それに明日や“もしも”のことを考えればある程度のチャクラは残しておくべきだろう。

は、はぁ、とため息をついて、その場に座り込んだ。

この状態で、銭湯にしても実家にしてもそこへ術を使わずに行くことを考えるだけで気が重くなる。
“踏んだり蹴ったり”、そんな言葉が似合う状態、だと思った。


「もっと近くでお風呂入れるところなんてないのかな…」


そんなものない、と頭でわかっていながらも呟いてみる。
シーン、と静まり返っている部屋にまた余計に惨めな気持ちにさせるようで。
はぁ、とため息をついて自分の膝を抱えた。
誰にも相談できない、その一人暮らし特有の寂しさがを襲ってくる。

―泣きそう…

ただ“お風呂のお湯が出ない”、それだけのこととわかっていながらも、それだけのことで悩んでいる自分に気が滅入る。
もうすべてが駄目なんじゃないか、とそんな気にズルズルと引き込まれていく。




「………カタン…」




物音のしないの部屋に、小さく響く音。
この部屋で発せられたものではなく、きっと壁越しに隣の部屋から聞こえてきたものだろう。
は首だけを動かし、音のした方をぼーっと見つめた。


「……あ…」


はっとした表情で、音のした方へ、隣の部屋と自分の部屋を隔てている壁に近づく。
そして、そっとその壁に耳を当ててみる。


―音がする…


微かにテレビの音と、人の足音、その他の生活音が聞こえてくる。
気を集中させて気配を探れば、そこに誰かがいることがわかる。


「……これしかないかも。」


すっかり力の抜けてしまっていた体にぐっと力を入れる。
そして意を決した表情を浮かべるとは家を出た。



















ここで話は冒頭に戻り…






今、お隣さんの部屋のドアの前にいるの腕の中には、シャンプー・リンス・ボディーソープ・タオルなどといった入浴セットが
きっちり入っている。

普通なら見ず知らずの隣の住人をいきなり訪問するなんていうことはありえないことだと自分でも思う。
きっと迷惑だと思うし、自分がそんなことをされたらきっと迷惑だと思うに違いない。

しかしながら、今頼るものはそれしかないのだ。

銭湯も実家も遠く、この近くにいる知り合いもいない今。
入居して1度も会ったことのないお隣さんではあるが、これも知り合うにはいい機会かもしれない。
すごく迷惑な知り合い方だとは思うが、頼ってみなければ何も始まらない!、はそう自分に言い聞かせた。

―ふぅ…

一つ、深呼吸して気持ちを落ち着かせ、ゆっくり呼び鈴のボタンを押す。
ドアの向こうからは物音が微かに聞こえて、人の気配が近づいてくるのがわかった。


「…どなた?」


その低く抑えられた声に、は肩をビクッと動かす。
“迷惑なんだろうな”、それがびんびん伝わってくるような感じで思わず体が強張る。
それに負けてしまわないようにぐっと息をのむと、はゆっくり口を開いた。


「隣に住んでいるものですが、お風呂のお湯が出なくなってしまいまして…
 もしかしたらお隣のお部屋も…なんて思ったのですが…?」


いきなりストレートに“お風呂を貸して欲しい”、とは言えずにそう切り出す。
とりあえずなんとか会話をすることができて、の緊張は少し解れた。


「お湯…?ん、出てますよ。さっき入りましたから。」

「そうですか…」


―ここからが本題

そう意識すると言葉が止まってしまう。
何かを言おうとして口だけはパクパクしているが、それに伴う言葉はない。
は入浴セットを持っている腕に、きゅっと力を入れた。


「…それだけですか?」


ドアの向こうから、また低く、まるで鬱陶しそうな声が掛かる。
言わなきゃ、そうは思うのに何も言えず、痛いほど相手の気持ちが伝わってくる。
もう胸が張り裂けそうなくらい、心臓が激しく動いているのがわかる。
その苦しさにはすっと息を吸うと、口を開いた。


「あの、よければお風呂を貸してもらえませんか?」


やっと言えた満足感に、胸でつかえていたものが取れるような感覚がする。
しかしながら、今度は“断られたらどうしよう”という新しい緊張がふっと襲ってくる。
ドアの向こうから何も言葉が返ってこないのがそれをまた助長して、はただ、息を止めて待っていた。




―ガチャリ




音を立てて、ゆっくりとドアが開く。

はその様子を見ながら、自然に落ちていた視線を真っ直ぐ前に持ってくる。
ドアが開くスピードと同じように、ゆっくりと見えてくる相手をただじっと見つめていた。


「…ま、仕方ないですよね。うちの風呂でよければどうぞ…?」


そう言い終わった相手の目との目が互いを捉える。
まるでその瞬間、時間が止まったかのようであった。
微動だにできないまま、ただ目を丸めていた。















「…カカシさん…?」





…」











数秒の空白が、何時間も流れたかのようであった。


見間違うはずもない相手の名前を確かめるように口にする。
相変わらず目は真ん丸のまま。
そのくらいの“まさか”、今起こった、いやずっと起こっていたのだから。


少しずつ、ピンと張っていた緊張が解け始めると、は顔を真っ赤にしてカカシから目を逸らした。
その変化に気が付いたカカシが不思議そうな顔を浮かべる。


「あの、カカシさん、それ…」


そういってが指差す先はカカシの上半身。
カカシは事を理解すると、にっこりと微笑んだ。


「あーごめんね?さっきお風呂入ったばっかり暑くてさ…反射的に口布はしたんだけど…」

「はい…」

「ほら部屋入って?」


カカシがドアを少し大きく開くと、はカカシから目を逸らしながらも“お邪魔します”、と言ってその中に入っていく。
が入ったのを確認すると、カカシがドアをゆっくり閉めた。
部屋の中へ入っていくの後ろ姿を見れば、耳を真っ赤にしていることがよくわかる。
カカシはそれが可愛らしく思えて、思わず笑ってしまった。
それに気が付いたが振り返り、不思議そうな顔を浮かべたが一瞬カカシを見ると顔を赤らめて視線を泳がす。
カカシは近くに置いてあったバスタオルを手に取ると、それで上半身を隠すように羽織った。


「…すみません…」

「謝らなくていいよ。こんなことぐらいでに嫌われたら嫌だしね。」


そう言ってカカシが微笑む。
言葉の意味がわかったのかわかっていないのかはじっとカカシの顔を見ている。
しばらく見つめ合ってみたものの、どこか気まずくなったカカシは、“ね?”、と言うと、
ポンとの肩を叩いて風呂場の方へ歩き出した。


「湯船、お湯張る?張るんだったら一緒にお酒でも飲みながら待とうよ?」


キュッキュッ、と蛇口を回す音がした後、ザーと水の出る音がお風呂場からする。
その音には足早にお風呂場に向かうと、その水を止めた。


「シャワーだけで大丈夫です!…実はさっき思いっきり水シャワー浴びちゃって、早くお湯を浴びたいんです…」


が頭をポリポリ掻きながら、恥ずかしそうにそう言う。

―相変わらずらしいな

カカシはそう思うと自然に笑みが零れる。
できるならこのまま抱きしめてしまいたい、と思うがもちろんそんなことはできない。
恥ずかしそうにしているにカカシは“そうだったんだ”、と言うと優しく微笑んだ。


「じゃあ好きなだけシャワー浴びて?あれだったら浴びながらお湯貯めちゃっても構わないから。」


の好きなようにしていいよ”、とカカシが付け足しながらお風呂場を出て行く。
は、“ありがとうございます”、と言いながらそのカカシの背中を見送った。























「ふぅ…気持ちいい…」



シャワーを浴びながらそう呟く。
やっと浴びることのできた温かいシャワーはまるで心を溶かしていくよう。
つくづく、シャワーの気持ちよさを身にしみて感じていた。


「お隣さんがカカシさんだったなんてなぁ…」


まさか、こんなまさかがあるとは思っていなかったし、なぜ今まで気が付かなかったのが不思議に思う。
その反面で、カカシさんだったことで安心もしていて。

お湯が出ないことには泣きそうな気持ちにもなったが、今考えればそのおかげで“お隣がカカシさん”とわかったようなもの。
“終わりよければすべてよし”、はそう思うとにっこりと1人微笑んだ。


「はぁ…」


程よい温かさのシャワーが身体に当たる。
頭の中では、水シャワーを浴びたときから今シャワーを浴びているまでのことが走馬灯のように蘇ってくる。

そんなときにふと頭を過ぎるのは……
ははっとして、顔を赤らめる。

頭を過ぎる、カカシの上半身―

思わず目を逸らしたそれは、しっかりと頭に焼き付いている。
今まで男の上半身ぐらいなら職業柄、何度か見たことはあるし、その程度のことなら恥ずかしいとは思わないのだけれども、
あれほど綺麗なものは見たことがなかった。

はシャワーを思いっきり捻るとそれを頭から被った。

―忘れよう…忘れるんだ…あぁダメ…離れない…

忘れようとすればするほど蘇ってくる先ほどの光景。
ブンブン頭を振りながらただひたすらは頭からシャワーを浴びていた。


























「まさかがお隣だったとはな…」






突然の偶然にただカカシは、ビールを飲み干しながらそうぽつりと呟いた。

“どうしてもっと早く気が付かなかったんだろ”、そう少し後悔もしているが、やはりこの偶然に喜んでいる方が大きい。
まさかのまさかすぎて実感がまだ沸かないが、それでも今、は自分の部屋の風呂にいるのが事実、なのだ。
そう、今、は風呂に―

ふっといけないことが頭を過ぎる。


「いやぁ〜それはマズイよね…」


苦笑いをしながらぶつぶつと自分に言い聞かせるように口にする。
が、その視線の先は風呂場の方へと向いていて。

カカシは頭をブンブンと振ると、ビール缶を手に取りそれをぐっと一気に飲み干す。
そして、隣に置いてあったイチャパラを手に取り、それに頭を集中させた。


「…あ、これって逆効果じゃない?」


カカシはこの後、ただ悶々とした時間をビールと供に過ごした。
































翌日、この話を聞いたアスマとゲンマの手によって、のお風呂は無事お湯が出るようになった。






「ねぇ、?」

「はい?」

「なんでカカシと目合わさないの?ていうか、なんでカカシも見ないのよ?」

「「いや、別に…」」

 ((((怪しい…))))

「いやぁ〜…なんでもないって。そんなにオレを睨まないでよ〜」



待機所の中には、カカシの乾いた笑いが響いていた。



















 












アトガキ
無駄に長くてすみません…
なんだか甘さというより、若干のエロさが入ったような話になってしまってますね…
この話を書きたいがために寮に入れたのになぁ…そのあたりを活用した話をもうちょっと書いていきたいとも
思ってるんですが。






2006.7.27 up



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